大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(刑わ)2441号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は

「被告人は、

東京都板橋区大和町四六番地七号愛染マンシヨン二〇二号室において、「母と子のセンター」の名で託児所を経営し、委託を受けて乳児を保育する業務に従事していたものであるが、昭和五一年七月九日午後一時五〇分ころ、右託児所六畳間において、乳児今野英理奈が泣き始めたため、柿沼東(当時生後八四日目)を布団の上に降して右今野英理奈の方に向かおうとしたのであるが、柿沼東は生後間がないため、未だいわゆる首が座つておらず、独力で寝返りも打てない状態にあつたので、このような乳児を伏臥させるにおいては、その身体にシヨツクがあれば容易に吐乳し、かつ、伏臥させれば吐乳を吸引するほか、柔かい敷布団に顔を埋めてその鼻口を塞ぐなどして窒息するに至らせるおそれのあることが、容易に予見できたのであるから、同児が伏臥することのないようその状態を確認のうえ、同児の身体にシヨツクを与えないよう慎重に仰向けの状態に寝かせるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、右今野英理奈に気を奪われてこれを怠り、柿沼東を確実に仰臥させることなく、柔かい敷布団のうえに片腕で無造作に横たえたまま右今野英理奈の世話を始めた過失により、柿沼東を右敷布団のうえに伏臥させ、吐乳させてこれを吸引させるとともに布団で鼻口を閉塞させ、よつて、同日午後二時四五分ころ、同区栄町三三番地東京都立豊島病院において、柿沼東を死亡させたものである。」というにある。

第二当裁判所の判断

一〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

柿沼東(以下、単に東と略記する)は、昭和五一年四月一七日体重二九〇〇グラムで出生し、その後何らの異常もなく順調に発育し、本件事故当時は、生後八四日目で未だ首は完全に座つていないが、手足はかなり動かすことができ、タオルケツトを掛けておくと足ではね飛ばせるほどであり、腹這いにさせるとほんのわずかの時間であれば頭を上に持ち上げるか左右に動かすことが可能であつた。また、同児は独りでは寝返りがうてなかつたので、母親はもとより被告人もこれまで東を伏臥位に寝せたことはなかつた。

本件事故当日である昭和五一年七月九日、被告人は午前九時二〇分ころ、東を母親から預かり、午前一〇時ころ、二〇分ないし三〇分の時間をかけてミルク一〇〇ミリリツトルを飲ませ、正午ころ、同じように同量のミルクを飲ませた後、同児が眠りにつくのを待つていたが、午後一時ころ、生後二ケ月余の河野匡泰が泣き出したのにつられて東も泣き出したため、いわゆる胡座をかいた状態で左大腿に河野匡泰を、右大腿に東を乗せ、それぞれを片腕で抱えるようにしながら二人の乳児をあやしていたところ、午後一時四〇分過ぎころ、生後九ケ月の今野英理奈が激しく泣き出したため、同児の方へ行こうとして、胡座から正座のような姿勢になり、抱いていた二人の乳児を被告人の方に正対させるようにしながら、各乳児の背に腕をあて、手で後頭部を支えながら二人の乳児の臀部をほとんど同時に畳の上に敷いてあつた厚さ約六センチメートルの布団(昭和五三年押第一八二七号の1)の上に降し、まず左腕に抱いていた河野匡泰を仰臥させて左腕を抜き、続いて東を寝かせた。そして、右今野英理奈の傍へ行き、同児を抱きあげ声をかけてあやすなどするうち、同児が大便をしていることに気付き、同児を布団の上に寝かせておむつを取り外し、別の一枚のおむつを持つて風呂場へ行き、それを濡して同児のところに戻り、同児の尻を拭いて、新しいおむつをしたうえ、再び同児を抱きあげ、二、三分あやして絨毯の上に座らせて東の方を振返つたところ、同児に異常が感ぜられたので同児のところに行つたが、その時、同児には既にチアノーゼが現れ、口の回りにはミルクが付着していた。そこで、被告人はそのミルクをバスタオルで拭い、マウス・トウ・マウスという人工呼吸を施し、聴心器でかすかに心音があるのを確認したうえ、妹成田真理子に電話をかけさせて嘱託医平山春美に往診を頼むとともに救急車の手配をしたが、間もなく駆けつけた平山医師が診察した時には心臓も呼吸も既に停止しており、同医師が強心剤を注射し、心臓圧迫マツサージを施したものの鼻から少量のミルクの固りと血を出しただけで蘇生せず、更に、板橋消防署警防課防災急救係高橋菊松らにおいて心臓マツサージ、人工呼吸、酸素吸入などの措置を講じたり、東を東京都立豊島病院に運び、同院心臓外科の位田保之医師が、気管チユーブを東の口に入れて酸素を加圧補給し、心臓マツサージ、人工呼吸、心臓内注射をするなどしたが、いずれも効なく、午後二時四五分同病院において東の死亡が確認された。

二ところで、被告人が東を布団に寝せた際の同児の体位については、証拠上必ずしも明らかではないが、前掲証拠によれば、被告人が、本件事故直後、妹の成田真理子や柿沼東の両親に対し、「東の異常に気付いた時、同児が伏臥位になつていた。」と述べ、捜査段階においても、終始同様の供述をしていることが認められるのであつて、被告人が東の異常に気付いた時、同児が伏臥位になつていたことは疑いのないところと認められる。そして、同児が未だ寝返りを打てなかつたことは前記認定のとおりであるから、同児が伏臥位となつたのは、被告人が同児を確実に仰臥させず、容易に伏臥位に転ずるような体位に置いたため転じたか、あるいは、直接伏臥位に寝せたかのいずれかと考えられる。

三そこで、東の死が被告人の右行為を原因として発生したものであるかどうかについて検討する。

この点につき、検察官は、医師渡辺博司が、同人作成の鑑定書(以下渡辺博司鑑定と略記する)において、東を解剖した結果、「血液が暗赤色流動性であること、胸線被膜下、心外膜下、肺胸膜下、気管粘膜下などに溢血点がみられること、諸臓器の含有血量の多いことなど、窒息死体にしばしばみられる顕著な所見が認められ、その他には死因となるような創傷、疾病の存在を認められず、更に本屍の気管、気管支(細気管支を含む)胃と同一内容(乳性物質)の吸引が認められるので、本屍は吐乳を気道内に吸引したため窒息死したものと思考される。」との判断を示していること、また、同医師は、当公判廷において、証人として「各種臓器の器質的変化を調べ、それを更に組織学的に調べたが、死に至るような重篤な病変は見られなかつた。東の死はいわゆる突然死ではなく、窒息死である。生後二、三ケ月程度の乳児を伏臥させた場合、鼻口閉塞による窒情死の可能性もあり、東の場合も鼻口閉塞による窒息死の可能性があつた。」旨供述するところ、本件の場合、東は厚さ約六センチメートルの柔かい布団に伏臥させられたのであり、かつ、同児が吐乳吸引したという事実もあつたのであるから、当然呼吸困難によつて正常な運動能力が阻害されることがあり得るといわなければならず、特に同児はそれまで全く伏臥位に置かれたことがなく、鼻口閉塞を避ける運動経験もなかつたのであるから、単に標準的な乳児の運動能力をもとに、東についても、鼻口閉塞の可能性がないと判断することは妥当ではないとして、本件死因は吐乳吸引または鼻口閉塞、あるいは、これらの競合による窒息死であつて、これは、被告人が東を伏臥位にさせたことが原因であると主張する。しかしながら、検察官の主張には、次のとおり疑問があり、これを払拭することができない。

(一)  本件死因が吐乳吸引による窒息死であるとの主張について

まず、本件死因が吐乳吸引による窒息死であるかどうかについて検討するに、なるほど、渡辺博司鑑定は、検察官主張のとおり、本件死因を吐乳吸引による窒息死であるとしているが、その論拠とする「血液が暗赤色流動性であること、胸線被膜下、肺胸膜下、気管粘膜下に溢血点がみられること、諸臓器の含有血量の多いことなど窒息死体にしばしばみられる顕著な所見がみられる。」との解剖所見は、第二回公判調書中の証人渡辺博司の供述部分によれば、これは窒息特有の所見ではなく、窒息を含む急死(発病してからきわめて短時間のうちに死亡した場合)に認められる顕著な特徴であるに過ぎないというのであるから、これをもつて、直ちに窒息死であると断定することはできない。また、「気管、気管支、細気管支に胃と同一内容の乳性物質の吸引が認められる。」との解剖所見については、証人渡辺博司の当公判廷(第一〇回)における供述(以下、単に渡辺博司証言と略記する)によれば、同様の現象は事後の人口呼吸や酸素の加圧補給の措置によつても起るというのであるから、前記のとおり、事後に人工呼吸、酸素吸入あるいは酸素の加圧補給の蘇生の措置を講じている本件においては、これらの措置によつて、このような状態を現出した可能性を否定することができないし、鑑定人松倉豊治作成の鑑定書(以下、松倉鑑定と略記する)は、「乳児では、しばしば原因不明の内因的急死があるが、このときにも、その急死経過の頻死期ないし死戦期に、胃内容物の逆上、その気道内逆吸引が起こる。これが、その知識の充分でない頃に乳汁吸引による窒息死として取扱われた。」と指摘し、これをもつて乳汁吸引による窒息死とすることはできないとしており、この所見もまた、直ちに、乳汁吸引による窒息死と断定する根拠とはなし難いものと考えられる。

更に、「本屍には、その他に死因となるような創傷、疾病の存在は認められない。」との解剖所見については、松倉鑑定及び鑑定人渡辺富雄作成の鑑定書(以下、渡辺富雄鑑定と略記する)は、「乳児突然死(SIDS)の場合は、死因ないし死の本態が解剖によつても明らかにし難い。」として、他の死因となるような創傷、疾病の所見がない故をもつて、前記解剖所見からたやすく吐乳吸引による窒息死と断ずることが早計であることを示唆し、むしろ、本件解剖所見は突然死のそれに該当し、本件死因は突然死であるとしている。

ところで、右両鑑定によれば、乳児突然死とは、「乳児又は幼児に発生した突然死で、病歴上予期することができず、死後の十分な検索によつても適当な原因が証明されないものをいう。」と国際的に定義され、その定型的経過は、生後二ないし四箇月の健康な乳児が常日頃の仮眠または夜間に就眠した直後または翌朝になつて死亡していることに気付くというもので、解剖所見としては、諸臓器のうつ血、肺、心臓、胸線などの粘漿膜に認められる溢血点が唯一の共通所見であり、上気道の炎症を認めることもあり、顕微鏡所見としては、肺のうつ血水腫、肺胞壁にリンパ球、好中球、単球などの浸潤、肺胞内に単球や肺胞上皮細胞を容れ、また、硝子様膜の形成や出血を伴うことや吐乳吸引の所見を認めることもあるというのであり、証人高橋悦二郎(第三回公判調書中の同証人の供述記載((以下、高橋証言と略記する)))も、本件が吐乳吸引による窒息死であるとすることに疑問を呈し、突然死の可能性を認めるものの如くであり、渡辺博司証言によれば、同人が前記のとおり吐乳吸引による窒息死と判定したのは、解剖所見から、それが最も可能性が大であると考えた結果であつて、突然死を含む他の可能性を全く否定する趣旨ではないことが認められる。しかも、渡辺富雄鑑定は、「吐乳吸引による窒息死の場合は、鼻口から多量の細小泡沫(細かい泡)を洩出する。すなわち、溺死(溺水)の場合は、気管および肺の内部(気管支枝を含む)が吸入した水で刺戟されて咳こむと共に、粘液が分泌され、気道の中で吸い込んだ水は、出る空気(呼気)に攪拌され、水と混和する。粘液は小さい気泡(あわ)を形成し、この気泡は細かく、水を泡立てた時と違い、すぐには消失しない。吸入した液体が水ではなく、乳汁の場合は細小泡沫の形成が特に顕著であるが、渡辺博司鑑定の肺臓所見にある『断面の色は暗紫赤色で圧出血量は多い。細小泡沫をわずかに洩らす。』という程度の洩出はすべてのうつ血肺に認められ、吐乳吸引の所見ではなく、もし、東の死因が吐乳吸引による窒息死であるならば、鼻口部を再三拭つたにしても、人工呼吸または心臓マツサージで胸部を圧迫する都度、鼻口から細小泡沫を洩出する筈であるのに、その形跡も認められない。」と指摘し、吐乳吸引による窒息死であることを否定する。また、渡辺博司鑑定によれば、本屍胃内に淡褐色混濁液二〇ミリリツトルが残留し、食道内は空虚であつたことが、被告人の検察官に対する昭和五二年六月八日付供述調書によれば、被告人は柿沼東にミルクを与えた後に胃に飲み込んだ空気を同児に排出させたことが、更に、前記認定の事実からすれば、同児を布団に寝せるまでに哺乳を始めてから約一時間四〇分、哺乳が終つてからでも約一時間二〇分の時間が経過していることが各認められるところ、松倉鑑定は「一般に三箇月程度の健康児の場合、その哺乳乳汁が胃内を通過するのは約一時間ないし二時間であるから、同人の胃内には乳汁がさほど残留していないはずであり、現に剖検時に胃内にあつたのは乳汁を含む淡褐色混濁液約二〇ミリリツトル位であるので、それと、口外に出ていたものや気管ないし気管支内にあつたものを考慮しても、全体として多量の乳汁、乳液が気道や肺内に侵入するほど胃内に残留していたとすべき時間関係がなかつたし、その状態では伏位になつたとしても、それがために吐乳するとは考え難く、吐乳の原因が不明であり、口外や鼻孔外に出た吐乳を再吸引する可能性は本来考えられず、量的にもその危険性はない。もつとも、食道から逆上して咽喉頭あたりまで逆吐したものを気道内に吸引するということは考えられないではないが、肺割面及び気管支内の液分は少量であつたというのであり、逆吐して吸引した量が多量とは思われないので、その危険性も否定される。乳汁吸引窒息の場合は、食道並に気道各所、肺内における乳汁存在量が圧倒的に著明であるが、本件の場合は、食道内容がほとんどなく、その他の乳汁存在量も少ない。」として、本件が吐乳吸引による窒息死である可能性を否定している。

以上のとおり、本件死因が吐乳を気道内に吸引したための窒息であると認定するには専門的立場から多大の疑問が提示されており、この疑問を払拭することができず、他にこれを認定するに足る証拠はない。

(二)  本件が鼻口閉塞による窒息死であるとの主張について

次に、検察官主張の鼻口閉塞による窒息について検討するに、前記認定のとおり、東はいわゆる首のすわりが完全ではなく、ほんの僅かな時間であれば頭を上に持ちあげるか、左右に動かすことは可能であつたが、これまで伏臥位に寝せられた経験がなかつたものであるところ、乳児が伏臥位にされた場合における鼻口閉塞の可能性について、渡辺富雄鑑定は、松倉豊治著「医学と法律の間」三五一頁の「通常健康に育つている乳児では生後二箇月ですでに顔をベツトの上に自ら挙げることができ、三箇月ともなれば頭をベツトから離し上部体重を腕で支え、脚を十分に伸ばす等の運動が可能であり、鼻口圧迫窒息の如き苦悶を来すぎりぎりまでこれに対処する防避を全くなし得ないではいないことが知られている。現在では寝具による乳児の鼻口閉圧の関係はほとんど否定されているといつてよい。」との記載を引用したうえ、「上半身がシヤツ姿の東を誤つて俯せにしても、その頭部を数分間押えつけでもしない限り、鼻口閉塞による窒息死を惹起させることはできない。なぜならば、俯せになつた場合、鼻口を閉圧させたままの姿勢を固持することはなく、呼吸が苦しくなれば顔を横にそむけるからである。首のすわりが充分でなくとも顔を横に動かすことは可能である。頭を持ち上げることに較べれば、頭を横に転げることは容易である。」旨指摘し、松倉鑑定、高橋証言、証人桜井幸子(同証人の尋問調書)も、ほぼ同旨の見解を表明しており、このことは、一般論としては渡辺博司証言も承認するところであつて、松倉鑑定は、これは小児科臨床における一般の理解であるとしている。しかも、被告人の当公判廷における供述及び押収してある前記布団一枚によれば、東が寝せられた布団は、乳児が俯せになつても窒息することがないようにとの配慮から、被告人が、厚さを通常の半分と指定し、わざわざ悪い綿を使用させて、布団屋に特別に作らせた厚さ六センチメートルの比較的固いものであることが認められ、厚い柔らかな布団であればいざ知らず、いかに伏臥の経験がなかつたとはいえ、生後八四日目の東が、右のような固い布団で鼻口閉圧されたとは考え難い。もつとも、渡辺博司証言は、乳児が風邪気味で全身状態が悪いとか、乳児に体を動かすことができなくなるような強い衝撃を与える置き方をするとか、あるいは、気道内に吐乳が入つて一種の呼吸障害があつたりすると右のような運動が阻害されることもあり得ないことではないというけれども、被告人の司法警察員に対する昭和五一年七月九日付供述調書によれば、東を託された同月一日から同月七日までの同児の状態は、体温37度ないし37.4度の間で平熱であり、下痢その他の異常もみられず、全く正常であつたものと認められるし、助産婦として四年の経験を有し、現に託児所を開設し、日々乳児を扱つている被告人が、いかに急いでいたにしても、乳児に強い衝撃を与えるような置き方をするとは考えられず、被告人が東に対しかかる置き方をしたと認めるに足る証拠もない。そして、証人松倉豊治の当公判廷における供述によれば、吐乳吸引によつて、鼻口閉塞を防避する運動が阻害されるということは、メカニズム上あり得ないというのであるから、本件死因を鼻口閉塞による窒息死と認めることもできない。更に、渡辺富雄鑑定によれば、渡辺博司鑑定の肺の組織学的所見中の「一部の肺胞内にも同様の物質の存在がみられ、周囲に少数の好中球、リンパ球、組織性肥胖細胞、単球などの滲出が認められる。」とあるのを重視すると本屍の死因は「間質性肺炎」ということにもなるし、もし、生前に風邪気味であつたとすると「肺炎または気管支炎での吐乳吸引による窒息」ということになり得る可能性があり得るというのであり、結局東の死因をいずれとも(突然死を含む)断定することはできない。

(三)  伏臥位の危険性について

なお、検察官は、本件事故は被告人が東を伏臥位にしたことが原因である旨主張するが、第三回公判調書中の高橋証言によれば、「一般に、乳児は、伏臥位にすれば腹部を圧迫されるから、ある程度吐乳しやすいということはあるかもしれないが、仰向けにすると吐いたものをもう一回肺の方に誤飲するおそれがある。これに対し腹這いにする方が吐乳をそのまま外に出してしまうから、再び吸引するおそれが少ないのでかえつて安全である。」というのであり、この点については、証人桜井幸子(同証人の尋問調書)、渡辺富雄鑑定及び松倉鑑定も同様の見解を表明している。そして、前記のとおり、生後一、二箇月の乳児については伏臥位により鼻口閉塞を招くおそれがないとするのが小児科臨床における支配的見解であることが窺われるところ、高橋証言は「生後一、二箇月の赤ん坊で非常にいきむ場合には、腹這いにする方が落着くということがあり、頭の形がいびつになるのを防ぐという美容的な観点からも、腹這いに寝かせる方が良いと考えるむきもあり、欧米ではこのような観点からかなり広く伏臥位がとり入れられている。」と指摘しており、当裁判所に現われた証拠による限り、一般的に乳児を伏臥させることが、吐乳吸引や鼻口閉塞により窒息死を招く虞があつて危険であるとするについても疑問があり、東を伏臥位にしたことが、同児の死の原因であると認めることはできず、証拠を精査しても、東の死がそれ以外の被告人の行為によつて発生したものと認めることもできない。

第三結論

以上のとおり、本件死因については種々疑問があつて、いずれとも断定することができず、被告人の行為以外の原因によつて本件死が惹起された可能性を否定できないから、本件はその因果関係について合理的な疑いを入れない程度に立証されたとは言い難く、その余について判断するまでもなく、被告人に対する公訴事実についてはその証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条によつて被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

(小野幹雄 平良木登規男 川合昌幸)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例